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1 生きづらさの正体


2008年9月、私は都内の会社に営業職として入社することになった。その会社では、個人向けにカウンセリングや心理学講座、企業や官公庁などで働く人向けにメンタルヘルスケアサービスを提供するといった事業をしていた。その会社を選んだのは、入社の決まる1 年前に遡る。

当時の私は心理学の本を読み漁っていた。それはこれまで私の頭の中にあったまとまりきらない考えが、心理学の本では見事に文章化されていて、本を読めば読むほど『そうそう、わかる』という感覚が楽しかったからだ。

そしてもっと専門的に学んでみたいと通信教育で武蔵野大学に入った。しかし教科書に書いてあることは、頭ではなんとなく理解できるものの、学問特有の言葉が『苦手』ということもあり、普段の生活とのつながりを見つけにくく現実感がなかった。

そこでどうせ学ぶなら現場を知りたいとこの会社の門を叩き、運良く営業として入社することになったのだ。そして私は働く前に一度自分でカウンセリングを体験してみなければ、この仕事の営業はできないだろうと、カウンセリングを受けてみることにした。

50分で10,500円となかなかの値段だったが、何事も経験だと思い、吉祥寺にあった相談室へと向かった。担当カウンセラーは40代後半くらいの女性だった。穏やかな雰囲気で、個人情報の取り扱いなどの説明を丁寧にしていただいた後、私はカウンセリングを一度受けてみようと思って来たことを伝えた。

カウンセラーは私の思いを受け止め、「では目をつぶってください」と言った。それは後にわかったのだが、精神分析といって、潜在意識を探るカウンセリングだった。私は内心何が始まるのだろうと期待と不安でドキドキしていた。

カウンセラーは「何か浮かんだことがあれば言葉にしてみてください。どんなことでもいいですから」と、優しく語りかけてくれたが、私は心の何処かに「カウンセリングで自分の心がわかってたまるか」といった抵抗感があったと思う。そのため「何も浮かばないです」とつっけんどんに答え、そんなやり取りが何回か続いた。

目をつぶってただ黙っていることに、「こんなことして何の意味があるんだろう…」と、私はイライラしていた。それでもカウンセラーは急かすことなく、私の言葉をじっと待ってくれた。

時間がどれくらい経っただろうか。「このまま終わったら一万円もったいないなぁ」と考えていたその時、まぶたの裏に一筋の光が見えた。「なんだか明るい光が少し見えます」と伝えると、カウンセラーは「明るい光が少し見えるのですね」と応答し、私は「はい、少しだけ…」。

そこからはどんな話をしたのか、ただ一つを除いて覚えていない。その一つとは、はっきりとそしてとても強烈な出来事だった。私は少しだけ見えた光から様々なことが浮かび、言葉にしていったと思う。そしていつしか感情が溢れてきた。なんだか得体の知れない重たい言葉が喉元にこみ上げ、「これは絶対に言ってはいけない」と、必死にその言葉を言うまいと抵抗していた。

しかしその言葉は、口から出るのを約30年もの間待っていたのだろう。

次の瞬間、私は思ってもみなかったことを口にした。

「僕が生まれたせいでお母さんの目が見えなくなった。僕なんか生まれてこなければよかった」

私は号泣していた。しかしどこか冷静な自分もいて、「そんなことは今まで一度も思ったことがないのに…」と、自分の言葉に驚いていた。とても不思議な感覚だったが、自分の口から出た言葉である。どこか思い当たる節があった。

私は「そんなこと思ってたんだなぁ」と、少しだけ自分を愛おしく思った。

その時から、それまで全く実感の湧かなかった「自分を愛する」ということが、少しずつ分かっていったような気がする。

カウンセリングは予定の時間を大幅に超えていたが、カウンセラーの好意で延長料金もなく、2 時間くらいお付き合いいただいたと思う。私は帰り道、号泣したこともあってかなんだか心がスッキリしていた。背中の重たい荷物が少し軽くなったような気がして、「これがカウンセリングか…」と、自分に起こった出来事を反芻していた。

しかし一方では、「それでこの先どうすればいいの?」と、カウンセラーへの不満もあった。抑圧していた思いを顕在化させたのはいいが、その先の道筋がなかったため気持ちが宙ぶらりんになってしまったのだ。ちゃんと延長料金を払って、そこまですればよかったのだろうが、いかんせんその頃はケチで他罰的だったので、私は感謝を忘れていた。

結局その後、継続して相談をすることはなかったが、私はこの出来事から、母が失明したのは自分のせいだという「罪の意識」を持っていたことを知ったのである。

自分の目で直接頭のてっぺんが見えないように

どうしたって自分ではわからないことがある

自分を映す鏡があるかないかは

自分を正しく認識できるかできないを分け隔てる

それは人かもしれないし

本かもしれないし

もしかしたら雨上がりの水たまりかもしれない

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